きのこって?
日本椎茸産業研究所に所蔵されている復刻版の古書には、 「山の雪中で紫色の菌(きのこ)をみつけ、煮て食べたところ以後病なく長命であった」との記録があり、「万葉集」の巻十には、「芳を詠む」があり「高松の この峰もせに 笠立てて みち盛りたる 秋の香のよさ」との歌があり、これはきのこのこととされています。
以後、「今昔物語」・「源平盛衰記」・「徒然草」などでも、紹介されています。
また、「故事類苑」によると、古くから『薬用』として用いられているきのこの文献は35点もあります。その後、きのこが食材として使われたのは414例を超えており、古くから高価な食材として、また薬用として日本人に親しまれてきました。
日本に自生するきのこは、約4000種類とも言われ、そのうち120種類程が食用とされています。これらの多くは、野生種で、地域的にしか手に入らなかったり高価なものが多くなっており、日常の食生活で実際利用されているのは、栽培可能な10種類程で、
これらの栽培種のきのこ類は、美味であることに加え健康に良いとされた言い伝え が、最近の進んだ科学技術により事実である事が証明されています。
源兵衛翁について
源兵衛翁は、豊後の国佐伯藩千怒の浦(現在の大分県津久見市大字千怒)の生まれで今からおおよそ四百年の昔、炭焼業を営んでいましたが、ある時自分の切り捨ててあった炭木の切れ端に沢山の椎茸が出ているのを発見しました。
そして、その木が椎・樫ではなく楢の木であったことに大変驚くと同時に深く興味を持ち、これを自分の手で作ってみたいという好奇心が涌きあがり楢の木の伐採時期を研究し、遂に秋の土用の時期が最適であることを知り、この時期に伐採した原木を玉切りして、これに鉈目を入れ、空中を飛んでくる椎茸の胞子を付着させ、その榾木から椎茸を発生させるという鉈目式栽培技術を確立しました。
(小野村雄著「山の光」より)
まさに、源兵衛庵は我が国、椎茸産業の開祖であります。
写真は「源兵衛翁の銅像」
特集:山伏茸
山伏茸(ヤマブシタケ)の名称が表舞台に登場したのは大正時代のことで、日本では数少ないサンゴハリタケ科のキノコであり、クヌギ、クルミ、シイなどの広葉樹の樹幹や切り株に着生します。
山伏茸(ヤマブシタケ)にはアガリクスとは違った種類のβ-D -グルカンを複数種含んでおり、マウス実験において高い抗ガン効果が証明されています。
その他、5種類もの活性多糖を含んでおり、それらがすべて高い抗腫瘍抑制率を示しています。
さらに、他のキノコに比べて効果 がすぐ現れる即効性に関しては並ぶべき物がないほど優れていると言われています。